【IM実行委員会】講演内容要旨(平山 博史 会員)於:IM1組フレッシュロータリアン研修会
孜々として、悠々として
大阪梅田RC 2014-15年度 会長 平山 博史 会員
私は1995年、阪神淡路大震災の年に35歳で入会しましたが、入会した時の先輩会員を見習って、何事にも一生懸命、孜々として活動しながら、それでいてあらゆる面で余裕のある悠々とした人生を送りたいと願い、「孜々として、悠々として」という言葉を座右の銘としております。
1910年のアーサー・シェルドンの「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」に代表される職業奉仕という理念は、非常に深い意味を持つ、素晴らしい理念だと思います。渋沢栄一は1916年に「論語と算盤」という書物の中で「正当な方法で富を得られるのであれば、職業に貴賤はなく、どんな職業でも良い。だけど正当な方法で富を得られないのであれば、いつまでも富に執着せず、汚い手段を使ってまで富を得ようとするのではなく、むしろ貧乏に甘んじて、社会の役に立つ行動を取るべきと」と書いています。渋沢栄一もほぼ同じ時期に、職業奉仕と同じような考え方を唱えていたわけです。ハーバード・ロースクールで教えられるハーバード流交渉術は、分配型交渉から統合型交渉への転換の必要性を説く内容になっています。分配型交渉とは自分の取り分が増えると相手の取り分が減るという交渉であり、統合型交渉とはパイ全体を大きくすることによって双方の取り分を増やすことを目指す交渉です。最初の授業で持ち出される話が「1個のオレンジをめぐって姉妹が激しく喧嘩した。結局、オレンジを半分に切って、それぞれ半分ずつを得ることで折り合いがついたが、姉は、その半分の中身だけ食べて皮を捨てた、妹は、残り半分の中身を捨てて、ケーキに入れるために半分の皮だけを使った。」というものです。姉妹が仲良く、それぞれの希望を相手に伝えて十分に話し合っていれば、容易に姉が中身全部、妹が皮全部を入手することが可能だったのにということです。ハーバード流交渉術は、交渉が真に実りある結果になるためには、交渉参加者が友好的かつ積極的に交渉し、双方がハッピーになるように工夫をし、思考を巡らせ、先方の喜びそうな双方の取り分が最大化するような提案をするべきであるということを教えてくれています。ハーバード流交渉術の必要性、重要性は、私も弁護士という職業柄、身に染みて感じることが頻繁にありますし、職業奉 仕の理念に通じるものだと思います。
大阪梅田ロータリークラブでは、阪神淡路大震災から約20年間、希望リンゴと名付けた、温暖の地でも実をつけるリンゴの植樹を社会奉仕活動として行っており、植樹した場所は各地の小学校など100ヵ所以上になります。マルチン・ルターの「たとえ世界の終りが明日であっても私は今日リンゴの樹を植える」という言葉から将来の希望を象徴するものとしてリンゴが選ばれました。2001年6月8日に発生した大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件は、犯人が包丁を持って教室に押し入り、次々と児童8名を殺害し、児童13名と教員2名の合計15名に負傷させたという本当に痛ましい事件です。私は3人の息子がいずれも附属池田小学校に通っていた関係で、事件の1カ月前まで附属池田小学校のPTA会長を務めており、私の三男のクラスも死者2名、負傷者6名の被害がありました。私の三男は無事でしたが、本当に危機一髪でした。三男の担任の先生は事件の際の対応を責められ、退職を余儀なくされました。私がこれまでの人生で身近に遭遇した最も悲惨な事件です。その後、制服も変更され、校舎も建替えられました。2005年に附属池田小学校の校舎の建替えが完了し仮校舎から建替え後の校舎に戻ったタイミングで、ロータリー創立100周年記念事業として、附属池田小学校の校内及び正門前に34本の希望リンゴを植樹しました。登下校時には全児童が通るところで、他の樹はほとんど植わっていない場所です。私は毎年、見に行っておりますが、昨年も植樹から17年経っても1本も枯れることなく、5月には真っ白な可憐な花を咲かせ、9月にはリンゴの実を沢山、付けていました。リンゴの樹のすぐ横を現在の児童が花や実を指さしながら楽しそうに登下校する様を見て、命の尊さを後世にまで伝え、犠牲者のことを決して忘れずに、希望ある未来を目指すという目的を十分に果たすことができていると感じられて、本当に植樹して良かったなと思っています。
私は、昨年8月大峯山修行に行きました。表行場の鐘掛岩と断崖から上半身を吊り下げられる西の覗きが有名ですが、表行場の後に裏行場というのがあって、裏行場の最後の二つ、蟻の戸渡りと平等岩では、本当に死というものをごく間近に感じました。特に蟻の戸渡りは、深さ200mはあるかという断崖絶壁の横にある岩の壁を命綱も付けずに、岩の出っ張りに手足をかけて登って行くのですが、手や足をかける岩の出っ張りは小さいうえに、長年、多くの修行者が同じ出っ張りに足をかけるため、摩耗してすごく滑りやすくなっていて、転落して亡くなる人も毎年のようにいるとのことで、私も途中で、これは本当に死ぬかもしれないと真剣に後悔しました。裏行場は、あまりに危険なので、わずかでも岩が湿っていると行くことはできませんし、死んでも異議を述べませんという同意書の提出まで必要です。大峯山修行は、一旦死んで、生まれ変わった気持ち、擬死再生というようですが、赤ちゃんのような無垢な状態になることを目的としています。おかげさまで私は半年以上が経過した今も、清々とした気持ちで、毎日感謝しながら生活しています。
大峯山修行は一種のショック療法で、即効的に、自分の本質を変える効果があると思います。ロータリークラブは、大峯山修行のような即効性はありませんが、こつこつ例会に出席し続ける中で、ロータリーの理念の薫陶を受けながら、他の会員と親睦を深め、各種の奉仕活動を継続していくことで、わずかずつですが、確実に自分の本質的な部分が磨かれて成長していくものだと思います。
フレッシュロータリアンの皆さん、是非、長くロータリークラブに在籍頂いて、ロータリークラブの真の魅力を実感して下さい。
